得意だった口頭プレゼンができなくなった 文筆業 鈴木さんの場合

仕事は大変多忙で、打ち合わせと執筆に最長時間かける週刊連載なども抱え、更に、妻に悪性の脳腫瘍が見つかったこともあり、過剰にストレスのかかる生活を送っていました。抗がん剤治療を受ける妻の通院付き添いの際に、自分の血圧も測ると、毎度170/100以上といったありさまでした。
実は倒れる予感はあって、倒れた時に連絡する先のリストなどを妻に渡しつつも、仕事と家庭の維持のために、立ち止まることができませんでした。発症数か月前に、数十分だけ左の指が不自由になるということもあり、これは怪しいなと思って整形外科を受診して、肘部管症候群と言われました。この時点で内心「脳かな」という疑いがあるのを、自分の中で見て見ぬふりをしました。
発症したのは5月末の朝、ろれつが回らないことから、やっぱり脳だと確信。妻の車で病院に向かう間、どんどん自分の周囲の世界が壊れていくといった、異様な感覚を味わいます。知った道なのに妻に道案内できないし、妻の言葉も良く意味が分からない。
病院で検査を受け、緊急入院。医師からは右脳の前頭葉の脳梗塞で、高次脳機能障害、具体的には左半側空間無視があると説明を受けました。発症時からの自分の不可解な感覚の原因が「これか!」とわかって、納得しました。STさんからは僕に残る高次脳機能障害にどんなものがありそうなのかという、かなり詳細なお話や、話しづらさの原因であるプロソディの障害についても説明してもらい、OTさんからも高次脳機能障害に対応したリハビリ課題を受けました。
ところが回復期病院に転院してからは、高次脳機能障害より左手の麻痺に対するリハビリが中心。退院後の家庭生活で、それまでほぼワンオペで僕が背負い込んできた家事を、どうやって妻と協働すればいいのかといったアドバイスを中心に、大変役立つ指導もあった半面、STさんに話しづらさなどの不自由を相談しても「鈴木さんは話せてますよ」と否定されてしまうし、主治医に色々な不自由や不安を相談しても「ま、なんとかなるでしょ」という反応だったので、この病院は高次脳機能障害についてレベルが低いので何を相談しても意味がないと、心を閉ざしてしまいました。
退院したら、生活でも仕事でも「病前に当たり前にやれていたことがほぼ全滅」という地獄の日々の開始。主治医からは高次脳機能障害としては軽度の方と聞いていたし、自分でもここまで壊滅的にできなくなることが多いとは思ってもいなかったので、通院リハでも日々起こる不自由を訴え続けましたが、あまり理解してもらえません。上手に口頭で説明できない症状を文書に書き出し、リハビリ医の問診で提出しましたが、それを読んでも貰えずに、やはり医療不信に陥りました。今思えば、急性期、回復期、通院リハのそれぞれの病院で高次脳機能障害についての理解度が全く違いましたね。急性期のアセスメントをその後に引き継げないなら、最初の病院でかかり続けたかったというのが本音です。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

鈴木大介さんは、過労、喫煙、高血圧を放置、つまり生活習慣が原因と思われる脳梗塞。無茶な生活に見えますが、自営業、社長、ノルマの厳しい職場、介護や育児を一人で抱えている人など、こういう方は多いと思います。少しでも、異変を感じたら受診することをお勧めします。
復職にあたり「言葉の問題」が出てきます。入院中に企画書も書いてるのに? 言語聴覚士さんは「話せてますよ」と言ってるのに? 取材記者...


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インタビュー記事

取材の仕事を断念し まずは執筆の仕事へ

病前の主な仕事は、人物を取材して雑誌に記事を書いたり、それをまとめた本を執筆したりすること。またそうした書籍を原作にした週刊連載漫画のシナリオ執筆などをしていた鈴木さん。しかし病後は、この人物取材の仕事が一切できなくなったと言います。

「取材記者とは単に相手の話を聞くだけでなく、相手に合わせて言葉を選び抜いて、その時最も適切な言葉を、最も適切なニュアンスで、最も良いタイミングで投げかけなければならない仕事です。頭の回転がめっぽう遅くなり、この言葉の選択もタイミングもあらゆるものを失ってしまった結果、取材記者業については廃業するしかありませんでした」

一方、発症直後は、数行の文章を読んでも「読んだ先から文章の内容が頭から消えていく感じ」で読み込めなかった鈴木さんですが、自身で文章を書くという能力は失われませんでした。それで、書籍の執筆や連載漫画のシナリオから復職した鈴木さん。しかしそこでも、この「話しづらさ」が鈴木さんの仕事の足を引っ張ります。

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