戦力外通告トラウマから学んだこと 障害者枠雇用(事務職)Bさんの場合

 10代のころから、ずっととび職人、高所作業をする仕事をしています。高校生の時から、あれこれ仕事しましたが、どれも続かなかったんですよ。でも、とび職だけは続けていましたね。もともと身体を動かすことが好きやし、見た目もカッコいいし。親方らからは、よう怒鳴られて、怖かったです。でも、いろんなこと教えてもらったし、毎日おもしろく仕事させてもらってました。経験も積んだし、そろそろ独立したらどうやって声がかかって、30歳ちょっとの時に、独立したんですわ。個人事業主やったんですが、だんだん仕事が増えてきて、いよいよ会社を起こそうと思っていた時に倒れたんですよ。ま、夢半ばってやつですね。42歳の1月でした。今年中に法人化するぞって、正月に誓いを立てたところです。
 あの日は、仕事中に、急にろれつがまわらなくなったんです。その時、足場に上がってたんですが、気持ち悪くなったから下に降りたんです。腰道具を外そうと思ったけど、なんか外せなくて、あれ? おかしいなって思って。それで100m先に停めてあった車に乗ろうと思って歩いたら、そのままひっくり返ってしまったんです。そこから救急車ですね。
 当時は、仕事が朝早かったから、早寝早起きでしたけど、若い衆らとたくさん飲みに行くし、暴飲暴食でしたね。健康診断では、毎回、高血圧で引っ掛かってたんですわ。でも、それがなんやねん! って思っていて。怖いもの知らずでしたね。毎日仕事できてたらいいわって、もう毎日、現場のことばっかり考えてましたね、自分の健康なんて二の次でしたから、ま、で、こうなっちゃいましたね。 
 入院中も、若い衆のために早く現場に戻りたいって、そればかり考えてましてね。高次脳機能障害ですか? そんなん、確かに説明を聞いたかもしれませんが、それがなんやねんって。麻痺に、ちょっと別の障害がプラスされた程度やと思ってました。確かに、あれ、変やな……と思うことが、たくさんあったけど、それより身体の麻痺をなんとかしたいって、動くようになればなんとかなるって信じて、リハビリがんばってました。でも麻痺が残ってしまって。とび職って高所作業じゃないですか。親方が現場に入らない組もあるんですが、うちはそうではなかったし、家族も心配するし、断腸の思いで仕事を辞めることにしたんです。
 そして、退院したら、今度は高次脳機能障害ってやつが、いっちゃんきつかったですわ。僕としては、あり得へんやろ! ってことや、聞いてへん! ってことの連続やった。知人に紹介してもらった会社に就職したんですが、高次脳機能障害のせいで1週間でクビになりました。「これじゃだめじゃん」って言われて、今でもトラウマですね。それまで、リーダーっていうか、どこに行ってもそれなりに役立つ人間って思ってましたからね。初めてそんなことを言われて、涙が止まらんかったです。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

「退院して家に帰ってみたら、高次脳機能障害、これが、いちばんきつかった」というBさん。この「家に帰ってみたら」が重要なキーワードになります。Bさんは入院中もスマホの操作が難しかったり、いつも何かを置き忘れしていたり、おかしいなと思うことは多々あったわけですが、それが生活の中でどう困るのか、実感が全く持てないまま退院しました。これ、ほとんどの高次脳機能障害がある人に当てはまります。入院中は生活環境も...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

高次脳機能障害の当事者は、日常的に本当に当たりまえの機能を失ってしまいますが、周囲の理解や環境が整うことでその不自由が顕在化しなければ、「そこに障害は存在しない」という状況が成立します。それは、足を怪我した人でも十全に鎮痛剤が効いて無理に歩こうともしなければそこに不自由がないのと同様です。

 Bさんも、自身の限界を知り、その限界以上の無理をせず、周囲の理解に恵まれた状況で...


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インタビュー記事

20年来の夢実現を目前に脳出血発症

 16歳から建築の職人一筋。親方や先輩職人さんに怒鳴られながら走り回って仕事を憶え、30代で独立。周りのライバル業者と切磋琢磨しながら自分の組の実績を作り上げ、職人歴20年目にして法人化を目前に準備も始めた。毎週のように、大事に育てた若い衆を連れて呑みに繰り出すイケイケの日々……。
 Bさんが脳出血に倒れたのは、そんな躍進のまさに真っただ中のことでした。
「法人化にはほんとにリーチかかっていて、その年のうちには法人化してしまおうって目標を掲げたばかりの1月にひっくり返っちゃったもんですから……。20年間、いつかは社長になりたいと思いながら始めた仕事で、ずっと会社にすることを夢にしてやってましたから、ほんとうにその直前で夢果てたという感じですよね」
 もちろん、倒れた時点でも、Bさんには親方として請けていたたくさんの仕事がありましたし、退院してすぐのころは現場に戻ることを目指していました。が、実際現場に戻っても、片麻痺もあって復帰は困難。それでも周囲の業者さんに応援要請したり自分の組の若い衆に指示を出して、なんとか1年少しは頑張って持ちこたえましたが、元請からのクレームが増えてしまったり収支も採算分岐付近に落ちていく中、気持ちを押し殺して押し殺して、廃業を決断したといいます。
 まだ40代頭、失望から始まったBさんの当事者人生でしたが、実はこの時点でのBさんは、自身の高次脳機能障害についてはあまり気づいていなかったと言います。
「入院中は若い衆にLINE送っていて、『こんにちは』が打てないなんてことはあった。ハチャメチャな文字になっていて、それは戸惑ったんですが、当時はスマホが壊れてるなという認識でした。病室にパソコンを持ち込んで若い衆へのお給料を振り込もうとした際も、金額を間違えて振り込んでしまって、急いで電話して何万円返してくれ!なんてことがあったり、病棟生活でも食事の際にお箸とかコップを忘れるのが毎日続いて、どんだけ気をつけても必ず忘れる。家に帰れば玄関に鍵を挿したままとか水道の蛇口から水を出したままとかもあって、これ、麻痺だけでなく頭も何かおかしいなあという、気持ち悪い感覚でした。自分のことがおっかなくなる、それこそ聞いてないよ、という感じでした」

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