自分以外の当事者を支える仕事がしたい イベント運営会社 Nさんの場合

Nさんは7歳の時に意識障害と左半身麻痺で、三次救急救命センターに搬送されてきました。頭部CTで右側頭葉に大きな脳出血を認め、脳血管造影で脳動静脈奇形からの出血と診断されました。来院時は昏睡状態で瞳孔不動もあるような重篤な状態で、緊急で減圧開頭術が行われました。急性期を乗り切り、脳動静脈奇形については脳血管内手術で塞栓術を行って再出血の予防を図った後に、頭蓋骨形成術を行いました。脳動静脈奇形の根治的治療としてガンマナイフ治療を追加し、リハビリが一段落して数ヶ月後に復学することができました。この頃のNさんは、左麻痺と左半盲は後遺症として残っているものの、本好きの快活な小学生となっており、救命して復学できたのであれば脳外科医としての役割は一段落と個人的には思っていました。
ガンマナイフ治療は脳動静脈奇形の有効な治療ですが、完全に閉塞には至らない症例が存在することが知られています。それもあって不定期ながら外来でのフォローアップを行っていました。その定期フォローで脳動静脈奇形が完全閉塞に至らないため、15歳の時に大学病院で開頭脳動静脈奇形摘出術を行いました。また、高校に進学後のNさんには登校拒否や自傷行為などの問題が見られるようになり、当時は思春期特有の問題であろうと思っていましたが、振り返ってみれば高次脳機能障害の存在による不適応も大きく関与していたのでしょう。
その後紆余曲折があってしばらく外来受診も途切れていたのですが、大学に進学して卒業、就職したとの報告を受けることができました。しかしよくよく話を聞いてみると、就職先の会社にうまく適応できていないようでした。脳動静脈奇形の開頭摘出術後から10年目となっていたのですが、意識が朦朧としてフリーズしてしまうといった症状があるということで頭部MRIをフォローしてみると、10年前に根治したはずの脳動静脈奇形が再発している所見でした。そのため26歳の時に再度の開頭脳動静脈奇形摘出術を施行することになりました。このように疾患の再発もあったので極めて長期間のフォローアップを行ってきましたが、各ライフステージにおいて高次脳機能障害に関わる異なった問題が起こっているのが強く印象にあります。

専門家による寸評

脳神経外科医中居康展

 脳神経外科は、脳神経系の疾患で主に外科的治療を行う分野とされており、脳卒中の患者さんを扱う機会が比較的多くあります。しかしながら外科的治療が一段落すると、その後遺症についてはリハビリテーション科に任せて直接関わる機会が激減するため、長期間のフォローアップを行う機会はさほど多くないのが現状です。
 脳動静脈奇形のような特殊な疾患の場合、若年者に発症することが多く、診断・治療の特殊性か...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

 本冊子初の学齢期発症であるNさん。取材前は受傷以前に積み上げたキャリアがないことや、障害を抱えつつ発達・生育してきた経緯から、中高年発症の当事者より「自己理解力が高く喪失感も少ないのでは?」という推測を立てていましたが、浅はかな推測を見事に裏切られた今回の取材でした。

 高い自己理解力と具体的な援助希求スキルについては想像していた以上のレベルで驚きましたが、それがゆえに...


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インタビュー記事

「普通」に憧れた日々

 7歳で左半身不随、同名半盲と高次脳機能障害を抱えることになったNさんですが、具体的に高次脳機能障害のことを知るのは、17歳になった頃のこと。「どうも自分は人と違う」という違和感を抱えながら生きてきたNさんにとって、「働く」ことは「他の人ができていること」という、憧れの印象から始まったようです。
「高校時代はお金より、周囲の友人同様にアルバイトをするという『ラベル』が欲しくてたまりませんでした。『普通』に憧れていたと言ってもいい。けれど、数十件応募したバイトのほとんどが不採用。やっぱり手が使えないのでレジ打ちでもできませんし、物を取り扱うにしても、たぶん手が動かないから、それは難しいっていうことで。でも基本は、障害があるって時点で、実際にどんな障害かは関係なく断られることが多かったなって印象です」
 唯一面接に受かったパン屋のバイトも、裏方の袋詰めやレジ打ちに挑戦しても、裏方の袋詰めが難しかったり、レジ打ちに挑戦しても無理で、三日で上司から申し訳なさそうな顔でクビを宣告されてしまったとのこと。
「私自身も申し訳なく、そしてできない事実を受け容れられずに、悔しくて泣きました。友人がバイトの給料で買ったというバッグを見るたびに羨ましくて……。高次脳機能障害の言葉を聞いた時は、よく意味は分からないけれど、思春期以降ずっと何かがうまくいかないと感じてきた違和感の正体だと直感できました。ショックでした。障害という原因があるのにそれまで自分のズレ(特に日常のコミュニケーション)を無自覚で生きていたことに腹立たしさや悔しさのようなものが一気に襲ってきました」
 こうして学齢期受傷のNさんの就労経験は、切ない体験から始まることになってしまいましたが、中高を通して障害を傍らに学生生活を経験する中、Nさんは臨床心理士として、障害を持つ子どものカウンセラーを目指したいと志を立てるようになり、大学の心理福祉学部へと進学します。
「在学中のバイトは、キャンプ場での清掃のバイト。カフェの裏方、図書館の広報室のバイトです。いちばん配慮していただけたのは図書館で、たぶんわたしに何ができるか考えてくださって、最初から本の整理とかの肉体労働でなく、本を読んで、書評とか新聞を作るような仕事をくれたんです。本当にありがたい。障害ゆえの働きづらさは、経験が浅かったのもあるのか、特に意識はしていなかったです」
 一年生の時からNPOでのボランティア活動などに積極的に参加するようになり、旅行を趣味とするなど活動的な大学生活を送っていたNさん。そんな彼女が本格的につまずいてしまったのは、大学二年生の時のことでした。

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