病前の私とは違う、違うんです。 国立開発研究法人 石崎さんの場合

発病から2週間後にICU

発病経過については、ご本人のお母さまの著書『お母さんのこと忘れたらごめんね』からご本人・お母様のご了解をいただき抜粋しました。

 美香さんは27歳の時、発熱と頭痛がひどく近くの内科や脳外科を受診しました。しかし、複数の検査で異常が認められず、自宅で様子を見ていました。1週間後、意味不明の言葉を口走り、眠ろうとしないという錯乱状態に陥り、受診した精神科で「一過性の心因反応だろう」と入院になりました。その後、総合病院に救急搬送され、「単純ヘルペス脳炎の疑い」との判断でした。ICU(集中治療室)で脳炎に対する治療が開始されたのは、発病から2週間後でした。その当時は人工呼吸器を付け、意識がなく、発熱や、発作と発作の間に意識の回復が見られず、一つの発作が長時間持続するけいれん重積状態に陥ることもあり、主治医からは「意識が戻るのは難しいと思う」「社会復帰は難しいだろう」という厳しい言葉も聞かされたそうです。
美香さんの病気は脳炎、しかし、それがどのような脳炎なのか通常の検査では診断が確定できなかったそうです。ちょうどその頃、アメリカの医師がこれまでとは異なる原因によって発症する脳炎を発見しました。しかし日本ではまだまだ未知の病でした。主治医の先生から半信半疑な様子で「もしかしたらその新しい脳炎かも」と伝えられた美香さんのお母様は必死の思いで、国内でこの病気を研究している医師を探しました。そしてその医師の勤務する大学病院に転院しました。病気の診断は日本ではできなかったので、アメリカに送り「抗NMDA受容体脳炎」と診断されました。
その頃の美香さんは、自発呼吸がなく、大脳の広範囲な領域が障害されており、外的刺激に対してもほとんど反応しない特殊な意識障害「遷延性植物状態」に近い状態だったそうです。転院前の病院で取ったMRIでは異常がなかったにもかかわらず、その病院で取った頭部MRIでは、大脳が広範囲に委縮しており、特に海馬という記憶の中枢の部分が浮腫んでいることがわかりました。
転院した病院で抗NMDA受容体脳炎に対する治療が開始され、原因となる卵巣奇形腫の摘出手術が行われました。次第に人工呼吸器が外れ、日々回復し、2か月後リハビリテーション病院に転院しました。当時はまだマヒが残っていたので理学療法を中心に、作業療法や心理療法、言語療法など様々なリハビリを行いました。その頃の美香さんは一つのことが気になるとそのことが頭から離れず、お母様や病院スタッフの説得も受け入れませんでした。得意だったはずのパソコンのキーボード操作はできても、やったことを覚えていることが難しかったそうです。
そして、発病から1年5か月後、自宅に戻りました。

『お母さんのこと忘れたらごめんね』
石崎泰子 (著) 本誌13ページで紹介

※石崎さんのお名前の「崎」は右上が「立」です。印刷の関係で「崎」を使用しています。

専門家による寸評

臨床心理士山口加代子

石崎さんのお話を伺い、何故、2か所のリハビリテーション病院で「高次脳機能障害だ」と告げられなかったのだろうという疑問が生じました。急性期にかかった病院や抗DNMA受容体脳炎の治療でかかった病院で告げられなかったのはまだしも、その後入院・通院した病院は2か所とも高次脳機能障害のリハビリテーションで有名な病院なのに……。いろいろ考え、2か所の病院とも抗DNMA受容体脳炎が他の脳炎と異なり「予後良好なケ...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

インタビュー本文にもありますが、石崎さんのお話を聞いて最も意外に感じたのは、病前に長年学んだ英語力を使った仕事ができなくなってしまったことや、お仕事の場で心無い言葉をかけられたり失敗を重ねてし待ったことよりも「病前のコミュニケーション力」を失ったこと石崎さんにとって最も残念に思っているということでした。



「(かつての自分とは)違う、違いますよね...


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インタビュー記事

【診断を受けて嬉しい】

抗NMDA受容体脳炎というという大変珍しく重篤でもある原疾患で、9か月もの間、高熱とたびたび起こる痙攣の発作の中で意識のない状態が続いた石崎さん。ですが、後遺症として高次脳機能障害が残っていることの診断が下りたのは、発症から4年8カ月も経った後のことでした。
「診断を受けて、少しどころじゃなく、ほっとしました。嬉しかったですね。あ、これだからできなかったんだ やっぱり、私には何かあったんだって、そんな気持ちでした。診断受けるまでは、できないことが障害のせいだとは思っていなかったんです。病後受けたリハビリテーションの中で、『社会生活に戻ることが一番のリハビリなんです』とよく言われていたので、そうするしかないと思って頑張ってきて、努力すれば元に戻るかもしれない、戻れないなら努力が足りないんじゃないかって思っていたので……」
石崎さんがそう言うのは、彼女が病後に再び仕事をするようになってから、診断を受けるまでに丸3年もの間、いくつもの仕事に挑戦する中で、とてもつらい経験を重ねられたからです。

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